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hirojisan日記1

75歳の老人が書く徒然日記です。

比企能員、源頼朝と薩摩・島津家のつながり19代当主が建てた別定の家系図に、、何と!頼朝の名前が?

鹿児島市に庭の堀後氏に錦江湾桜島が見える絶好の撮影スポットがある。島津家19代当主・光久が
 1658年に立てた別定【仙厳園(せんがんえん)】である。
 隣の建物は【尚古(証拠)集成館】といい、島津家の歴史や文化を知るうえで貴重な品々がたくさん展示
 されている。
 その尚古集成館の入り口に入ったらすぐ振り向いていただきたい。そこには島津家の大きい家系図が展示され
 ている。 「ああ、家系図だあ」と思ったら、その最初の部分をよく見ていただきたい。
 島津家の初代党首、つまり始祖・忠久(忠久)の名がある。そしてその父の欄には何と!源頼朝の名前があ
 る。母は丹後局丹後局)「鎌倉殿の13人」の一人比企能員(ひきよしかず)の妹で頼朝の乳母比企尼
(ひきのあま)の娘である。 より詳しく知りたければ下記をチェックしてご覧になってください。
 https://news.yahoo.co.jp/articles/423eb1fcdb5bb00c6c75a35c95100258f4996079

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